会社員時代-”3度目の近畿エリア”

46歳 大阪本店に帰店

成田到着後、都内のホテルで一泊。
翌朝、私は本社に帰任挨拶を済ませ、家族と共に東京駅から大阪へ。
新幹線は個室を取り移動、運転手・女中のいない生活と日本人のセカセカ生活に、どっと疲れが・・・。
その日は、ホテルに宿泊。 翌朝、大阪本店にて辞令を受け取り配属部署に挨拶後、一週間の帰国休暇取得。
神戸支店の総務担当者の案内で須磨社宅へ。
当日は、神戸のホテルに泊まり、家財が届く1月後までの、差し当たっての寝具・日用品を買い出し。
あっと言う間の一週間。


46歳 「本店建築見積部」常設部門で見積

人生で、最悪の部署。  特別化が進み「財務省」的な組織。
課長辞令を貰ったものの、ほかの課長・副部長は何か変?。
会議で報告のみ。 方針報告・マネージメントが希薄。
部長は一番弟子に同意を求め、他の役職者には指示のみ。
配属、一週間目にして違和感が沸く、留めは人事異動の出来事。

事前に総務部より人事異動に関して「お祝い等の禁止」の通達があり、建築部内の人事異動の「お祝いの回覧」に、配属直後で面識もないためサインしませんでした。
これが大間違い。 当部長の上司になる人で自分の出世に関わる人、「通達を無視してするのが部員としての忠義だろう」とあからさまに注意される? 🙁 。
一週間 頭を整理して、こんな組織は可笑しいと人事担当部長に「転属願い」を申し出。
それが、当の種なし部長にカチン 😈 。 その後、子分を通じてネチネチと(手元に置いて、左遷してくれない。 給与も最低査定)。
その一番弟子には、7年後の定年前に再度、ネチネチ。
書くネタは山ほどあるが、存命につき。


48歳 「なんばパークス(先行・後行・2期全工期)」の工事事務所(大阪市浪速区)

延べ6年在籍。 原価管理を担当しました。 何よりも、上司・お施主様に恵まれました。
良き上司には、仕事も・上司も部下も、そして協力業者も集まってきます。

儲けさす・利益が出るを条件に引き寄せるのではなく、傍にいるだけで豊かな気持ちになれ、この人の為なら死ぬこともいとわないと思える上司でした。(2歳違いですが 🙁 )

60年の人生で「建物造りでなく人を造るのだ」と教えて戴いた上司や同僚、そして御施主様の三位一体のプロジェクトでした。

書けば書くほど、帰国後の他の所属長とのギャップが違い過ぎ、同じ紙面上に載せることは当現場の上司に失礼なので辞めます。 格が違います。


56歳 「シャープ堺新工場 コーニング建屋新築工事」(大阪府堺市)

(写真上) くい打ち工事工事中

(写真右) 左下に道路に添って伸びる建物。
コーニング建屋(液晶用ガラス工場)

コーニング社の建物で第10世代(2850×3050サイズのガラス基板)の液晶用ガラス工場

シャープの新工場内のコーニング建屋を当社が建設。 他建物はS建設、統括管理はS建設、自分の島に他社が入り好まれなかった?。
安全対策はコーニング社によるアメリカ式でゴーグル・4点式安全帯での作業でした。
同じ敷地内でも、他社と安全対策が異なっていました。

突貫工事で、陸の孤島にあるため、自宅を5時過ぎにでて、堺駅に6時30分。
専用バスに乗りゲート前の工事用車両の渋滞で乗車時間1時間(通常、15分)。
さらに、場内バスに乗り換え外周を巡り15分でやっと現場到着。

工事途中から、バイク(乗用車不可)で片道40Kmを通っていました。
真冬は危険なため、始発電車にのり堺駅から自転車で6Kmを海からの向かい風のなか漕いで7時45分に到着。

こんな苦労や、他社は死亡事故を出して完成の工場も、3年後は身売り。
因みに同時期に当社が建設したパナソニックの尼崎工場も、閉鎖。
我が家から、大阪湾に面して両工場が見え複雑な心境。(目障り 😐 )


57歳 「近鉄上本町ビル(上本町YUFURA)新築工事」の工事事務所(大阪市天王寺区)

新歌舞伎座が入居の建物。

村野藤吾先生の宇部興産ビルを建設した時、隣接の都ホテル・近鉄百貨店に見学に来たことを思い出す。


59歳 「本店建築見積部」常設部門で見積

前現場での「財務省」の仕込みが色濃く感じた。
また、業者談合行為を指摘したことから、予想の異動先にBingo。

「財務省」を確信。 定年退職準備に入る。


60歳 定年退職

思ったほど、特別の気概・感傷がない一日でした。

妻への感謝と、子供たちの健やかな成長を節に願うばかりでした。

5か月前から休暇を取得して、次の準備に気持ちが移っていたこともあり、
過去の出来事の感覚。

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