会社員時代-”中国地方”

【中国エリア】
広島支店配属時は、大きく分けて
1.広島市とその周辺
2.山口県宇部市
3.岡山市

<広島エリア>

<岡山エリア>

<山口エリア>

5.広島修道学園大学

6.神戸製鋼所 呉工場

7.三菱重工業㈱広島造船所

8.東広島CC、クラブハウス

9.広島支店建築部

10.岡山市新中央卸売市場

12.宇部興産ビル(全日空ホテル)

13.広島支店建築部

 


21歳 広島支店転勤

郵便小包で書籍類を送り、寝具類は処分、バイクに山積みして、大阪から広島までグリーンフェリーで移動。
取り敢えず実家に帰り、月曜日朝一に広島支店に歩いて出頭、辞令を受け取る。
「えっ!!。 沼田?、交通手段は?、これからタクシーでいくのですか?」
取り敢えず、自宅に帰り、作業着に着替えてバイクで現場に行く。
(地元だけに場所を良く知っている。 帰りの心配をして :mrgreen: )


21歳 「広島修道学園大学校舎新築工事」の工事事務所(広島市安佐南区大塚)

キャンパス全体の新設工事で大手建設会社の出会い現場。
建設時は道路が未整備で自宅からは直線で7kmでしたが山越え1時間越え。 でっ、現場に泊まり込み。
コンクリートは現場ミックスで全面打ち放し、コールテン鋼の建具で斬新な建物です。

作業員不足の頃で、所長命令でユンボの運転(無免許)を覚えました。(当時でも、会社の安全部に見つかったら懲戒もの) 今は実家の建設会社の社長に納まった新入社員”鼻くん”はダンプの運転手(国立一期の大学院卒)

帰省の折、キャンパス内を見学させて戴きました。 大切にメンテナンスされており感謝いたします。
今は、コンクリート打ち放し面は耐候性塗装されたのか白色に。

 

 


22歳 「㈱神戸製鋼所 呉工場 船体部品工場増築工事」の工事事務所(広島県呉市)

船体部品(船首・スクリュー・軸など特殊な加工を要する部分)を作る工場。
戦艦大和の主砲を作ったなど歴史ある工場でしたが、1987年閉鎖されました。
土地は国有地、建物は保税工場。
何せ、地上に見えるもの以外は何が有るか解らない場所の工事でした。

屋根のアングルトラスには艦載機からの機銃掃射による多数の穴。 銃弾が刺さったままもありました。  戦前から大型スクリューを作っていたため、掘削すると黄銅や真鍮の削りチップがザクザク。
地下ピットでは水銀の池(5×5×0.6m)を発見。 吸い取り・引き取り先探しなど、大蔵省との遣り取りもありました。

そんな訳で、掘削前の不発弾探索の超音波・磁気探索をするも削りチップetcで全面が問題ありの箇所。
手作業での掘削作業、残土と国有財産を手作業で振り分けて写真撮影後、ダンプに積み込み。
国有財産の目録作成等で女性事務員さんと毎日遅くまで残業。  翌朝搬出迄に写真添付の書類作りのため、ネガ現像・焼付けを自分でやったのも良き思い出。
また、不発弾が出る可能性のため手掘り作業に関わらず、戦前からの錆朽ちた高圧空気配管の錆を押えていた土圧が掘削で無くなったため、錆が飛び高圧空気が漏れ始め、木栓を打ち込むと余計に穴が拡がり工場全体を半日止めて復旧作業。 支店長が飛んできました。
4か月の短期工事でしたが、仕事も施主様とも楽しく過ごしました。


23歳 「三菱重工業㈱広島造船所 産業機械部化工機工作課ライナック建屋・他」の工事事務所(広島市中区)

後年、「原子力発電所もんじゅ」に配属の要因となった「放射線防護建物」

壁厚2mコンクリート壁・重量扉・重量物搬送システムが目玉の工事
重量物搬送システムはエアーパレットを使い数百トンの化工機材を工場~ライナック施設~船着き場への移動を大型重機を使わないで行えるものです。
広い工場に三菱以外の車は入れず、毎日ゲート近くの広島空港の駐車場に車を停め、工場先端にある工事事務所まで3キロを徒歩通い。
毎日、各工場を抜けて現場と工事事務所を行き来しながら見学出来て楽しかったです。
ステンレスライニング溶接・プラズマ溶接etc。

◆お笑い◆
エアーパレットの路面をモルタルで±1.5mm以下に押える。(日々、レベル(測量機器)で左官屋さんと合い番作業で3週間後完成)
全面レベル検査後、三菱側に引き渡し完了。
三菱側で、モルタル面に厚鉄板を全面敷き詰め継ぎ目を溶接。
工場建屋内は順調に進捗。
「・・・えっ、ウソ!!」屋外も同じ仕様?、工場から岸壁までも同仕様???。
ある晴天の日、鉄板が大きく(1.0M)浮きあがる。
ジョイントなしで大面積、建物の日蔭と日向の温度差による伸縮でこの結果、考えが至らなかった?。


24歳 「JR広島駅本建屋増設工事」の工事事務所(広島市南区)
下記工事着手までのつなぎ(所長の職員キープ)

24歳 「東広島CC、クラブハウス新築工事」の工事事務所(広島県東広島市)

何もない山中の工事だったが、これも良い経験をした。
屋根全面が銅版葺き。 現在は写真で見ると非常に良い緑青が出ている。
山陽本線の八本松駅前のアパートから雨の日も雪の日も10キロの道のりを、後輩をカブの後席に乗せて通ったのが懐かしい。 ぬかるんだ山道をスリップして何度も転倒。 二人とも大笑いしながらの通勤。
後輩は、何度も海外勤務を経験、寡黙でタフさは磨きをかけ、第一線で現場管理者として活躍している。


25歳 「広島支店建築部」常設部門で営業(積算)

建物の価格算定の基となる数量等を算出、明細化する作業。
限られた図面を取り合いながら計算書を作成、集計、明細化。
この当時は、すべて手書き明細。 そろばんと計算機(現在のノートパソコンくらいの大きさ)を併用して入札期限に追われての作業でした。
忙しい時は徹夜、暇なときは読書や試験勉強。  On・Offのはっきりした仕事でした。

三角定規と3B鉛筆を使い、勘亭流風の癖字でお客さんにも有名でした。
故に、談合の明細に使えなかった :mrgreen:
出向いての作業も多く、最高裁判所では大法廷や皇居をバックの貴賓室等を見学、大法廷の裁判員席に座った経験も。(背もたれが異常に高かった)

しかし、好き勝手が出来た期間でしたが、どうも常設は性に合わなかった。何時も逃げ出す手段ばかりを考えていた。
「建築士試験の勉強」と「組織の他部署との交流」には良かった。

広島は、こじんまりとした街です。
広島弁がしっかり健在。(標準語をまねても、しっかりイントネーションが) 言葉使いからか、ガラ悪い印象の田舎っぽい県庁所在地です。  一応、政令都市
東映「仁義なき戦い」は実録かな?。 身近に感じたこともあったのも事実。
因みに、通った小学校は広島刑務所と広島少年鑑別所の間にあった。 狭い中州(吉島)に、平和公園・高級国家公務員宿舎と同施設が混在。この官有無番地に中学まで居住。


29歳 「岡山市新中央卸売市場新築工事」の工事事務所(岡山市) 

広い広い、平らな敷地でした。
現在のようにレーザー測器がなく、光学式トランシットで直線と角度出し。
長さは、日の出前に温度計を片手にスチールテープ+ばね重量測定器+トランシーバーでポイントを決め・・・。
時間と精度の勝負。 遣り方時は自家用車を持ち込み各ポイントへ移動しました。

建設技術者として無事故で10年経過、更なる無事故へのマイルストーンとなった現場でした。
ある日、隣接の工場内での発生した悲しい事故に接して、「物を造ることは同時に危険要因も作る」という戒めを知らされ、「安全は日々発見することの努力の重ね、そして心に留め祈る」の大切さを教えられたところです。

仕事以外では、見物に招待されたこの地方のお祭り「西大寺の裸祭り(会陽)」に、招待者が危険だからと引留めるのを振り切り、褌を締めて飛び入り参加。 実際、怖い目(刺青有り)をしましたが、「”枝”神木」を取って帰り、皆が呆れ驚かれたのも懐かしい思い出です。  (但し、体中青アザと肋骨1本がひび)  ※枝神木とは宝木を造った時の余り

◆感謝◆
後年、事故当事者の一人であった当時3・4歳頃の少女本人から、このブログの10行も満たない一節を読まれて、私に連絡を下さいました。
現在は、お幸せなご家庭を築かれ、お子様にも恵まれ異国の地でご活躍の報告。 突然に、ふっと脳裏に重く甦る心配事が、定年退職の年に晴れました。

改めて、努力し耐え、最後は願いと祈りを心静かに合わせることの大切さも教えて戴きました。感謝しております。


30歳 「ヘルス・スパ広島建築工事」の工事事務所(広島市南区) 

山陽新幹線の新広島駅ホーム高架下にプールを備えたフィットネスクラブ。
当時は、国鉄関連会社の経営でしたが、現在は東急スポーツ・オアシスに経営移管。
プールやサウナを備えたファッショナブルな本格的スポーツクラブは珍しく、何度かマスコミの取材を受けテレビに登場。
地元だったので、学校の先生・クラス仲間や近所の人に冷やかされた。 (狭い広島市 🙁 )


31歳 「宇部興産ビル新築工事」の工事事務所(山口県宇部市)

宇部興産の本拠地に、国際会議場・全日空ホテル・事務所棟からなる記念的大規模施設。
思い出多く、楽しく、勉強になった。 工事関係者はもちろん地域住民との触れ合い多く、実りある現場でした。「建設は人」だなと実感と確信の現場でした。

私の会社人生、4コーナー(宇部興産ビル、もんじゅ、なんばパークス、JayaObayashi)の第一コーナーです。

 

数々の思い出の詳細は、後日に記載します。

1).設計は村野藤吾
2).宇部興産中安会長の記念的施設。渡辺記念館(国の重要文化財)、俵田体育館に続く
3).地下の石炭層
4).地下水によるもやし栽培
5).大成建設とのJV工事
6).大成建設の逸材の派遣、末は社長か
7).施主サイドの若手技術担当者
8).近隣さんとのお付き合い
9).全日空 若狭社長
10).各種工法のオンパレード
11).最終施工の「近鉄上本町ビル(新歌舞伎座)」とのつながり
12).村野藤吾氏と円鍔勝三氏との超越の遣り取り etc


33歳 「広島支店建築部」常設部門で営業(積算)

勝手が過ぎて、またもや牢獄入り。
人生で一番派手な時期。 イクオール、叩けば埃が湧き出る期間。

 

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