会社員時代-”Introduction”

広島市で生まれ・育ち18年。 2度の転居はあったものの

工業高校を卒業して大阪の大手建設会社に入社。 就職が決まってから伸ばし始めた頭髪を辛うじて七三に分け、背広姿も滑稽な田舎者が大都会 大阪で社会人スタート。
珍体験、計算尺人生そのものをエリアに分けて勤務順に振り返ります。

Hiroshima Map

〇〇組と中国電力の2社入社試験を受けました。
自宅から1Km以内の2社、道路を隔て向かい合わせの位置にありました。
両社は一次の学科・二次の面接・合格発表まで見事に半日ずれであった。(8時に電報・13時に電報)
〇〇組大阪本店の役員面接試験で「英語が悪いな~」と言われ、健康診断では検尿で蛋白が出て再検査の為、延泊。  不合格 😀 を期待していたのだが・・ 🙁 。

私の第一志望は中国電力。 父が戦前・戦中(戦中は朝鮮半島の電力会社出向)在職し、中国電力電気資料館は私の遊び場 😆 、土地勘もあり地元密着もいいなと思っていました。
駄目だったら自衛隊に入り、少し考えをまとめる時間を持とうと思っていました。

〇〇組は学校からの押し付け?。  「新設校一期生で大手企業から受験指定をやっと貰ったのだから、受けるだけでも・・・(担任)」
しかし、合格したら「合格して辞退したら二度と試験指定校されなく後輩が・・・・(校長+担任)が母親にプレッシャー?」  🙁

まっ、いいか 😳 でっ、会社員スタート

建設会社の施工部門の宿命。  この建物が出来れば、次は建物へ。
居を構えても、通える場所はそうそう無い。
別居手当・帰省手当が給与項目にある、そんな業界に身を置きながら、結婚後は恵まれた生活を送れました。 考え方を変えると、会社から旅行手当を貰っていたとも。

高校を出るまで、住まいは転々としたが広島市を出ることはなかった。
会社に入り世界にも広がった。
何より、伴侶を得、子供も授かったことで、人生も大きく広がった。

『人生も旅』、大切な伴侶を中心に、人生を大きく起承転結にまとめる。

・・・出合い・結婚・新婚時代(驚きと落胆を越え、若葉マークの如く手をとり)
・・・巣造り(インドネシアで子供の授かり。 本当の渡り鳥)
・・・子育て(帰国後、苦難を共に。 40年50年前の自分達の姿か・・・)
・・・夫婦二人(これからの人生、もみじマークでゆっくりと)暫らくは無理

 

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