プロフィール

広島で生まれ育ち、高校卒業まで修学旅行以外はずーっと広島市内で過ごしました。
母は幼少期、父は長い闘病の末に中二で亡くなり、早く自立すべく工業高校に新設された建築科をアルバイトをしながら一期生で卒業。1970年、万博景気に沸く関西に本社がある大手ゼネコンに就職。


大阪・広島の本支店で見積・購買・現場施工管理を21年経験。 バブルが崩壊し始めた91年にインドネシアの現地法人に出向。 ジャカルタの本社で見積・入札業務をマネージメント。 日本がバブル崩壊後の氷河期や阪神・淡路大震災を経験することもなく、赤道を越えた熱帯の地で安泰に過ごし、現地で娘二人を授かりました。

アジア通貨危機に端を発した大規模なジャカルタ騒乱の前年、首都ジャカルタでも不穏な空気が流れ始めた97年末に、6年間の任期を終えて大阪本店の元部署に帰任しました。 帰任が翌年に越していたら、荷造りもままならぬ緊急避難帰国するところでした。

行きも帰りも、出産・子育てを厳しさから逃れて安全な地でと移動する渡り鳥の如く、幸運に恵まれた海外赴任でした。


バブル崩壊後、経済のみならず人の心にもダメージがボディブローのように効いて未だ立ち直れぬ日本の年の瀬に、阪神・淡路大震災の爪痕の空地が目立つ神戸市の須磨海岸近くの社宅へ入居。 家財を積んだコンテナの船便到着は一か月先、最低限の家財を買い揃える時間どころか、正月三が日も儘ならぬ連日深夜までの業務が待ち構えていました。

世の中はデフレ経済の不景気ながら、建設業界は阪神・淡路大震災復興の忙しさのアンバランス。 社内は経費削減の名の下 精神論が蔓延り、6年前の在籍した部署とは雰囲気は大きく様変わりしていました。
非常時には、部門長に強権・精神論の軍人的な人間が就き、強力な権限で困難を乗り越える必要があるのですが、危機から脱出して成長への方向転換には、社員を闊達に活かす度量の大きな部門長が必要でしたが・・・。
停滞した人事により、緊急時のルールが因習となり社会の変化・要求に組織がついていけなくなっていると強く感じました。


暫らく様子を見ながら業務を消化して感じたのは、IT化に於いても保守的な認識が業務改善への弊害になっているようでした。
ITの利用が単に省力化のツールでなく、「ITで新たな切り口を創る」という提言が、南国呆けの理想論と片付けられたのは自身の不徳の致すところ。
とは言え、業務を消化しながら手を出せないもどかしさから、実践出来る部署(建設現場 or 子会社)への異動を人事担当部長に直訴。


直訴に対する諸々の紆余曲折・上司からの圧力に耐え。2年後、待望の大規模再開発現場に原価担当として赴任。 私の先入知識が無いがゆえのITを利用した業務の消化手法は、社内の原価管理システム開発の黎明期と相まって効果的に進みました。
ITとは言っても現場担当者レベルではネットとEXCELの活用だけなのですが、実務を知らない「システム開発部門」と実務の「現場」との間を、仲立ちをするような業務処理が相乗効果を生みました。
私にとっては「使えるシステム」・会社にとっては「水平展開できるシステム」となり、利益という具体的な数値で成果を示すことが出来ました。
お手並み拝見とばかり援護射撃無しで送り出した部門長には面白くない話で、後々・諸々。

工期10余年のビックプロジェクトなので現場で定年を迎えると安心して、諸々の仕掛けを暴いて工事利益に還元しました。 しかし、景気回復の遅れによるプロジェクト全体の計画見直しで規模縮小・8年の工期短縮となり、定年前に相手のリーチが届く位置に立つことになりました(汗)。


二つのプロジェクトを逃げ回るも、最悪の古巣への辞令。
縦糸横糸・社内事情を知るがゆえ、のらりくらりの馬鹿を演じる中間管理職(笑)


時は無駄に過ぎ、60歳を迎えた年の元旦の思いは、
「幼い子供を遺し、無念に思いながら亡くなった親が経験していない齢の始まり。 だからこそ与えられた齢を大切にして、新たな方向に挑戦するべき」

・定年延長は名ばかりの管理職の置物。
・定年延長は新規投資・チャレンジの機会が後回し。
・定年延長時に累積有給休暇がリセットされる。
・担当業務(見積)は短期決着で引き継ぎの切れがよい。

そんな私的な事より、見積・購買業務自体が変態期に突入している。
私自身が「旧態然の業務の弱点を突く」ことで効果を上げてきた。改革派の私が今や保守派となり定年延長でいる事の矛盾。 あの時の「部門長」が反面教師となり目の前に立ち、身を処する時が来たのだと強く思いました。

しかし晩婚の私は、定年時は娘たちはまだ高校生(汗)なので、定年一年前に提示された定年延長後の給与はプライドをくすぐる魔法の数字(笑)。

とは言え、現役で戦ってきた傷だらけの心身で、現役時代の価値観・固定観念で将来を判断しかねない。 親が知らない大切な齢の過ごし方を考えるには心身をリセットして白紙で考えることにしました。

そこで定年を向える前に長期休暇を取得することにしけました。
貯まった有給休暇等の全てを、60歳誕生日からの逆算。
「4月末からのゴールデンウィークから3か月の長期休暇」を取得して
「過去を忘れた人に」

寿命が延びたとは言え、健康寿命は人それぞれ。
両親を早くに亡く、寂しい思いの青春時代。
40代半ばで授かった娘達が家族を持つ頃まで生きてられるか。

それらを考えると
家族といること」が何ものにも代えがたい。

一日一日は、同じことの繰り返しだけど新鮮。
収入等、色々心配事はあるが心が軽い。
早朝に目覚めて爽快な気分で、3か月間はあっという間に過ぎ。
得意のエクセルで資金計算して、何とか行けそう。


 でっ、延長雇用を辞退(定年退職)


妻は大学勤務の傍ら、国際ライセンスに挑戦中。
娘たちは大学受験生と高校2年生。

手始めに、朝食・夕食に弁当つくり・掃除洗濯💦の主夫業。
合間に、音楽教室の青色申告専従者。
WordPressで音楽教室のホームページ制作。

時々、CB400SFでツーリング。

あっという間に1年半が経過。
娘たちの大学進学を機に、主夫業を半返上。

違った世界を知るべく、畑違いの職に挑戦。
ディサービスの送迎運転手・進学男子高校の事務職。

音楽教室の青色申告専従者。
時々、CubPro110でツーリング(笑)


◆ La Strada

広島市で生まれ育ち、地元の工業高校を卒業して大手ゼネコンに就職。
大阪⇒広島⇒大阪⇒ジャカルタ⇒大阪に転勤。そして定年退職。
住所は出生地を含め16か所(入社後は13か所)を転々とし、現在の宝塚が終の棲家になるでしょう。
歩んだ道をエリア・時系列で振り返ります。

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